秋冬の季節に思うこと|完璧さを手放すことで見えた、本当に大事なこと

2013年12月。NHK「きょうの料理」で、鈴木登紀子さんのお節料理の放送を見ました。その時、私は「自分の家庭の味を、作ってみたい」と思いました。好奇心です。でも、実際に作り始めたら、煮豆に3日。佃煮に1週間。その大変さに、気づきました。「これは、買ってきた方がいい」と。その時、初めて気づいたんです。完璧さを手放すことで、本当に大事なことが見えるんだ、ということに。そして、作ってくれる人への感謝が、初めて生まれたんです。

「自分の家庭の味」を作ってみたい

2013年12月。その放送を見たのは、純粋な好奇心からでした。「自分たちの家庭の味、作ってみたい」そう思いました。完璧なお節を作りたいのではなく、「自分たちだけの、家庭の味」を作ってみたかったんです。

現実:煮豆は3日、佃煮は1週間

雑誌を買ってきて、実際に作り始めました。そこで気づいたんです。煮豆だけで3日。佃煮は、炒ったり、絡めたり、寝かせたり。1週間かけて作るんだということを。ページをめくる度に「え、この工程?」の連続。完璧なお節を作るということは、こんなに手間がかかるんだ。その時、初めて気づきました。

「買ってきた方がいい」という判断

そこで、私は判断しました。「これは、買ってきた方がいい」と。その判断は、決して「手抜き」ではなく、「現実的な選択」だったんです。年収が限定的な中で、そこまで時間をかけるより、できることに時間をかけたい。限られた環境での「選択」でした。

その時、初めて気づいたこと

「作らずして諦めてる人」が嫌い

実は、私は「作らずして『できない』と言う人」「試さずして『大変だ』と言う人」が苦手です。でも、自分で作ってみたことで、気づきました。いや、その「大変さ」は、本当なんだ、と。つまり、「わかったことという人」になりたくなかったんです。

だから「作ってみた」

つまり、私がお節を作った理由は、「完璧なお節が欲しい」ことではなく、「自分で体験して、その大変さを知りたい」ということだったんだと、後になって気づきました。

「作ってくれる人への感謝」が生まれた

お節を作ってみて、初めて気づいたんです。毎年、お節を作ってくれていた人たちの苦労が、どれほど大きいのか、ということを。煮豆3日、佃煮1週間。その時間を、毎年、かけていた。つまり、「完璧さを手放す」ことで、初めて「周りへの感謝」が生まれたんです。

今、お正月はどう過ごすか

「全部作る」ことが、家庭の味ではない

その経験を経て、今、私たちのお正月は変わりました。完璧なお節ではなく、「自分たちがときめく」ものを選ぶ。買ってくるものもあれば、手作りするものもある。その「選択」の中に、家庭の味が生まれるんだと、気づきました。

「いい体験だった」という感覚

あの時、1週間かけてお節を作ったことは、決して「成功」ではなく、「終わり」でした。でも、その終わりの中に、「いい体験だった」という感覚がありました。理由は、「作ってくれる人への感謝」が生まれたから。

限られた時間の中での「選択」

年収が限定的な時代。時間もない中で、「お節を全部作る」という完璧さは、私たちにとって必要ありませんでした。むしろ、「何を優先するか」という選択の中に、豊かさが隠れていたんです。買ってきたお節もあれば、手作りするものもある。その「混在」の中に、わが家のお正月がある。その「選択」が、実は、最高の「家庭の味」なんだと気づきました。

自分で体験することの価値

「わかったことという人」になりたくない

人生で大事なのは、「知識」ではなく「体験」だと、今、心底思います。自分で作ってみることで、初めて相手の苦労が分かり、感謝が生まれる。「大変だから、やめた」ではなく、「大変さを知ったから、感謝できるようになった」。その違いは、大きいんです。

まとめ:秋冬の季節に思うこと

お正月が近づくと、あの時のことを思い出します。2013年12月、鈴木登紀子さんのお節に魅かれて、自分で作ってみた。煮豆3日、佃煮1週間の大変さを知った。そして、「買ってきた方がいい」という判断をした。その一連の経験が、「完璧さを手放す」ことの大切さと、「周りへの感謝」の生まれ方を、私に教えてくれました。限られた環境で生きている人へ。「全部は無理」と感じている人へ。その「無理」の中に、実は「最高の学び」が隠れているんだと思います。自分で体験してみてください。その時、初めて「感謝」が生まれます。

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